仏教におけるペット供養の現在

仏教におけるペット供養の現在

ペットが死んだとき、現在の日本では家族と一緒のお墓に埋葬することはかなりの困難を伴います。

それはなぜか。

その根底には日本に根付いた仏教の思想がありました。

 

「ペットと葬式 日本人の供養心をさぐる」(朝日新書刊 鵜飼秀徳著)という本があります。

この本では昨今のペットの葬儀事情や仏教におけるペット供養の考え方などが紹介されているのですが、そこにはかなり衝撃的な内容が記載されています。一部を引用します。

「動物の極楽往生についての見解は、多くの仏教宗派でも意見が分かれるところである。「霊魂」の存在を明確に認めている天台宗や真言宗、日蓮宗、修験道などでは、動物の往生や成仏に対して違和感を持たない傾向が強い。天台宗の公式サイトの法話集の中で、「すべてのものは仏の現れであると仏教では考えられています。一つ一つのものは掛替えのない存在です」と、自然界のすべての存在が仏になり得るとの見解を示している。そこには日本の土着的なアニミズム(精霊崇拝)と、大陸から伝わってきた仏教や儒教とが融合した日本独自の宗教観が見られる。一方で、「霊魂」の存在を積極的に認めていない浄土系宗派などでは、そもそもの輪廻思想の解釈を巡って、ペット往生を可能とする考えと、動物のままでは往生は不可能とする考えの両論が存在する」(同書26~27貢)

なぜか。

「実際のところ、「仏教の原理原則論では、[ペットは]往生できないはず」と考える僧侶は決して少なくないのが現実である。なぜなら、仏教には輪廻思想というものが存在するからだ。ペットを含めた動物は、畜生界という世界に「堕ちた」存在である、という考え方がある。堕ちた存在が、極楽往生するには畜生界の中でより良い生き方をし、一旦、人間の世界に戻って、さらに仏道修行を経なければならないということが、僧侶たちの間での定説になって」いるからだ(同書26貢。[]内は筆者による)

そのためペットの供養を依頼されても断る僧侶も少なからずいるそうです。

 

「現在、ペットとの「死後の同居」を禁止する明確な法律はないが、しかし「墓地、埋葬等に関する法律」の第1条が、人骨と合葬する際のハードルとなっている。「この法律は、墓地、納骨堂又は火葬場の管理及び埋葬等が、国民の宗教的感情に適合し、且つ公衆衛生その他公共の福祉の見地から、支障なく行われることを目的とする」(第1条)。つまり、ペットと一緒に入ることが「国民の宗教的感情に適合」しているかが問題なのだ。(略)一族墓では、ご先祖様から孫やその先の代まで、一緒のカロート(納骨室)に入る。そこにペットの遺骨を一緒に納めることは、飼い主以外の親族が反発する可能性がある。また、公衆衛生上の観点でも人間の墓の中に「副葬品」として動物の遺骨を同居させることへの抵抗感を抱く人は少なくない」(同書57~58貢)

 

畜生道に堕ちているペットが極楽浄土に行けるわけがない  

そんなペットを一族の墓に埋葬するなど「国民の宗教的感情」からも「公衆衛生その他の見地」からみても罷りならん  

これが現在、人間と一緒のお墓にペットを埋葬するのが難しい理由の一つなのです。

 

もちろん、このような流れに反発している僧侶や寺院も多数存在しているそうです。

数は少ないながらも人間とペットの合葬が可能な墓地や納骨堂も増えてきているとの話です。

 

しかしながら、そもそもの話をしてしまえば、わたしなどは「なぜそこまでして仏教式で弔わなければいけないのか」と思ってしまうのです。

「若者(日本人)の宗教離れ」というワードは、年々存在感を増していると思います。

生きているときは「お墓参り」程度の付き合いだった「仏教」のはずなのに、死んだとたんに「戒名」を授かり「仏教徒」として「出家」させられ、「成仏」させられる。なのに家族同然のペットは供養すらしてもらえない  

そんなことに常々疑問を抱いておりました。

 

そもそも仏教では遺骨を守る風習自体が比較的最近生まれたものなのです。

「本来、仏教的な価値観からすれば仏陀の骨でもない限り、特別な扱いはしないものですからね。それこそ仏教が生まれたインドでは死体ごとガンジス川に投げているわけですから」

と、そう言うのは「東洋経済ONLINE」に寄稿している住職歴17年の蝉丸P氏です。

★参照URL:『先祖供養に「遺骨は必要ない」という衝撃事実』https://toyokeizai.net/articles/-/288858

★念のためウエブサイトを保存するサイト「ウエブ魚拓」にも保存してあります。参照→https://megalodon.jp/2019-0905-1745-53/https://toyokeizai.net:443/articles/-/288858

 

「江戸時代ぐらいだったら、位牌だけを管理していればよかったので、遺体とか遺骨とかに重きを置いていませんでした。ましてや庶民には現代のような「家」制度もありませんでしたから、自分の直近の見知った人の位牌だけあればよかった。それでお祭りする人がいなければ絶えてしまうわけですが、それで結構という価値観だったのです。昔は位牌だけをちゃんと拝んでいればよかったのに、そのうちにお仏壇も見なきゃいけない、その後にお仏壇と位牌がセットになり、さらにお骨も見なきゃいけないと、管理すべきものが増えていったのです」(同氏)

 

誤解のないように言っておきますが、わたしは仏教式の葬儀が悪いと言っているわけではありません。

心の拠り所になっている方も多いでしょうし、仏教(式葬儀)が日本において重要な位置を占めていた事実を無視するわけにもいきません。

ただ、現在の日本において仏教に疎遠な人間が、死後の拠り所としても仏教を選ばなければならないのかといったら、それは違うのではないかと思うのです。

日本には信仰の自由が存在します。

「ペットの死後を認める認めない」「ペットと一緒の墓に入ることは様々な要因から困難である」などといった場所でとどまっている仏教にすべてを委ねるのではなく、今の日本ではもっと自由に(それこそペットは仏教とはまったくの無縁なのですから)ペットの死後を弔ってあげてもいいのではないか、そう思えてならないのです。

 

  わたくしどもでは「記録」よりも「記憶」を大切にしたいと考えております。

残された者にとってお墓自体は非常に大切で重要な場所だと思います。

ですが、「お墓ありき」ではなく、とにかく手をあわせてときどき思い出してあげることのほうが大切なのではないか、そう思ってやみません。

「ああもうそろそろお盆の時期か。お墓参りに行かなくちゃ」と儀礼的に考えるよりも、毎日の生活のなかで「あぁこのおもちゃ、あの子好きだったよなぁ」とか「よくここに一緒に来たよなぁ」と思い出してあげることのほうが自然で、本来的な供養なのではないか、そう思っている次第です。

 

海洋散骨葬が皆様方の愛するペットの供養の、その一助となれば幸甚です。


他の記事はこちらから

一般社団法人エコウサポート

お問い合わせはこちら

弊社では一般社団法人日本海洋散骨協会認定の海洋散骨アドバイザー資格をもったスタッフが、
ご遺骨のお引き取りから海洋散骨まで、専任でサポートさせていただきます!